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もの、事柄との出会い~一期一会~3.スポーツ 運動会の徒競走、毎年ビリから抜けだした!苦手が得意に

今日はスポーツとの出会い編です。

私は小学生5年生まで運動が苦手で、毎年運動会の時期になると憂鬱になっていました。徒競走でビリになることの惨めさは実際にビリになったことがある人でないとわからないかもしれません。

小学生3,4年の頃は学校の意地悪なクラスメートに目を付けられて(よくある話ですね笑)、現実逃避というか引きこもりというか、放課後は家でビデオゲームをしていました。しかし、5年生になりクラス替えがあったおかげでそのクラスメートと離れることができて、社交的になり友人ができて、その友達の仲の良い子達と放課後を過ごすようになりました。そのグループは、ほとんどが男の子で外遊びの多いグループでした。サッカー、ドロケー、缶蹴り、、毎日日が暮れるまで遊んでいました。

そしてまた運動会の時期がやってきて、体育の授業で徒競走の順番を決めるための時間測定が始まりました。自分の順番が来るまで本当に嫌で嫌でしかたなく、憂鬱な気分のままスタートラインに立ちました。スタートの笛の合図とともに夢中で走ってると、、「あれ?」何かがおかしい。。。「自分の前を走ってる人がいない。」と。夢中で走り終えてみると一位でゴールしていました。先生からタイムを告げられ、本当に自分のタイムなの??としばらく唖然としていました。

そうです、継続は力なりなのです。

毎日の放課後の外遊びの積み重ねで、足の筋肉が鍛えられていたのです。しかも知らない間に!

これは、今運動会前にお腹が痛くなっているみんな!必見ですよ!騙されたとおもってやってみてください。
子供から相談を受けている親御さんもお子さんにためしてみてください。
キーワードは、’遊びで楽しんでやっているのに知らないうちに身についている’です。

嫌々やると、嫌わないですむことなのに、その時の状況と照らし合わされて潜在意識に組み込まれてしまうので、食わず嫌いになってしまうのです。


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もの、事柄との出会い~一期一会~2.音楽 偶然か必然か 運命に導かれる出会い

そしてまた帰国して数年後音楽とは関わらず生活をしていた頃に、ひょんなことから学生時代の友人と
バンドを組むことになり、ラッキーが重なってライブ演奏をさせてもらえる機会がありました。

演奏前は緊張してすごく怖かったのを覚えていますが、
やった後の達成感が半端無く気持ちよくって。
その後バンドメンバーもそれぞれ忙しくなり、また音楽から離れた生活に戻りました。

当時は、会社で英語を使っていたものの人間関係が上手く行かず、
悶々と日々をこなしていく毎日を送っていて、ある日家に帰ってきて
何年も触っていなかったピアノに触れた時に、

なんだか心が癒やされたのです。

弾いているときは無の状態になれて、一心不乱に弾いていました。

それからは、ピアノを弾くために勤務終了後急いで帰って夜ご飯も食べずに
引き続けるという毎日を送っていました。

そんな日々を過ごしていたある日、友達が歌手になったという話を聞きました。

その子の音楽を聞いてみると、すごい!声も良いし、詩も良い、MVも良い。

身近な人が自分のやりたいことをやっていて、尊敬と同時に自分も行動しなきゃ!と感じました。

その時は、金曜日で週末に向けて幸せで、ゆったりと音楽を聞きながらアップルパイを作っていました。

親友がつらい時期を過ごしていて、どうにかして助けになりたいなと考えていました。
そして、フォークを生地に刺す音がリズムを生み出し、メロディーが口から流れてきたのです。

歌詞が先かメロディーが先か覚えていませんが、アップルパイを置いておいて、
紙に詞を書き出して、忘れないようにメロディーをピアノで弾きなおしました。

この時もまた、気持ちが高揚していたのを覚えています。

その後は、音楽作成に魅了されて何曲か作り、色んなジャンルの音楽を聞くようになりました。

あの、幼稚園生のときの出会いが今の日常に情熱を与えてくれるものになった。

本当によい出会いでした。

音楽も英語もダンスも、離れた生活をしていた時期もありましたが、ひょんな事柄が起きてまた再会する。

運命なのか、潜在意識で探していたのかわかりませんが、
長い付き合いになっています。


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もの、事柄との出会い~一期一会~1.英語 日本の教育じゃネイティブ発音英語を話せるようにはならない。

昨日は人との出会いを書きましたが、
今回はもの、事柄との出会いについて書きたいと思います。

皆さんの趣味や生きがいは何ですか?
これらがあると人生が輝いたものになりますよね。

私は、音楽・英語・ダンス・スポーツ・旅です。

音楽・英語・ダンスとの出会いは、幼稚園生の頃ある海外バンドのライブ映像を見た時でした。

そのボーカルの見た目が好きだったこと、ライブ演出・音楽が魅了するモノであったこと、
こんなことが当時の私の興味を惹きつけるものとなったのではないかと思います。

テレビの前なのに自分が実際にライブ会場にいるような、なんとも言えない高揚感がありました。

当時はそのビデオを見ている姿を見られるのが嫌だったのか定かではありませんが、
母親が買い物に出かけた後家で一人っきりになった時を狙って、
テレビの音量を最大にして見ていました。

今思うと、かわいい姿ですよね。

その後、小学生になってピアノと英語のお稽古を始めました。

これは自分から習いたいと言ったかどうかは定かではありませんが、
自主的に宿題をやっていたのを覚えています。

中学生になった頃は、お稽古事の月謝を気にするようになり、どちらもやめてしまいました。

それからは、学生の間は音楽・英語・ダンスに授業の一環として関わるようになりました。
ただ、他の授業に比べると、やる気や楽しさが格段に上だったのを覚えています。

社会人になり、
音楽・英語・ダンスには関わらない生活を過ごしていたとき英語への情熱が再沸し、
英語をネイティブのような発音で話せるようになって、

’世界の人と知り合いになりたい!’
’海外に住んでみたい!’

という思いが強くなり、勇気を出して海外へ飛び立ちました。

その後、外国人の友達も増えて、英語を話すということが日常的になりました。

そして、音楽への情熱も再沸する機会。

海外にいるときにアウトドアのライブ・コンサートで出会ったシンガーソングライター。

彼女の演出・演奏には鳥肌が立って、感動し、周りを気にせず立ち上がり踊り始めました。

幼稚園生の頃のテレビの前で踊っていた自分のままで。
あの日は興奮が冷めず、家に帰ったあとも全身が燃えていたのを今でも覚えています。

つづく~


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人との出会い~一期一会~ 出会いに良い悪いはない。その時の自分に影響するものとして必然的に出会うもの。

出会いに運命ってあると思いますか?

その時、その場所にいたから出会った人。
良い出会いもあれば、嫌な出会いもあります。

小さいころは通っている学校や近所の人たちなど、身近なところで出会う人が多かったと思います。

また、歳を重ねると、自分が選んだ道(学校、就職先、趣味、旅先)で出会う人も
増えてくるのではと思います。

私は自分ひとりでいる時間も好きだし必要なので、空いている限りのある時間は
自分が好きな人と過ごしたいと思い、プライベートではごく少数の人たちのみと頻繁に会ったり
自分から連絡をとったりするタイプです。

また、連絡をとることに時間をかけるのがあまり好きではないという点も影響していると思います。

実はグループで会うのも好きなのですが、連絡を取ってみんなをまとめるという作業があまり好きでないので、
誰かが計画してくれて人を集めてくれた会合に出席するという受け身な参加型です。
(幹事さんにはいつも尊敬の念があります。)

また、積極的に自分から声をかけたりするタイプではないので、
自分から積極的に出会いを求めにいくというよりは、
あちらから声をかけてくれたり、飲んだ勢いで話を始めたり、
友達つてに紹介されて知り合ったりと、受動的な出会いが多かったです。

大勢でわーわーやっていたり、毎日仕事や色んな用事が入っていて、
自分の時間があまり無いときは考える作業をする時間が無いので感じていませんでしたが、
今一人で過ごす時間が多く取れるので、自然と考える時間が多くなり感じることがありました。

そしてこれまで出会った人たちや自分の人生に影響を与えた人たちを思い出していました。

そのとき、その場所で出会い交流していくということは、
少なくとも何か共通点があったりお互いに興味を持っているからだと思います。

私の場合は相手が話しかけてくれて交流が始まるので、少なくとも最初は相手が私に興味をもっている。

ということから始まり、話してみてより深くなっていくこともあれば、一度のお話で音沙汰がなくなることもあれば、
後々再会して深くなっていくこともありました。

これまでは、
自分が好きな人尊敬出来る人との出会いを良い出会いと位置づけ、
嫌な人との出会いを悪い出会いを位置づけていましたが、
最近思ったことがあります。

嫌な人との出会いは、
私が何に重きを置いているのか、
自分がどんな人間なのか、
自分のどんな行動が原因でこの関係性になってしまったのか、
を知ることに役だっているのではないかと。

だから嫌な人との出会いも人生には必要なのかなと思うようになってきました。

また、その分、良い出会いを大切にして育てていこうと感謝をすることにもつながりました。

これからは、自分の世界を拡げていきたいので、自分が興味を持った人に声をかけれるように、
自分の思いに正直に行動できるようになっていきたいと思っています。

時間は限られてるしね。


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KY(空気読めない)も悪く無いじゃん?

一時KYという言葉が流行りましたが、
その言葉は’K(空気を)Y(読めない)人’というような
いわゆるネガティブな性格表現として使われてきました。

場の空気を読んで発言する。=場の空気を濁すような発言は良くない。
という、
良く言えば集団行動を効率よく循環させていく社会、
悪く言えば長いものには巻かれよという社会を表すもの。

お互い気持ち良く会話をするために、相手の嫌がることは言わないようにする。
話の流れを途中で止めないように、突拍子もない質問は控える。
商談を円滑に進めるために、本音は隠して上辺の会話をする。
相手に気に入られるために、嘘を並べて自分の立場を良くする。

KYは、悪い意味にもなるし良い意味にもなる気がします。

例えば、時間に限りのある場で決断を下さなくてはならない議題についての話し合いや会議をしている最中に、
議題に関係のない質問(KYな質問)が出た場合、
それに答えていると進行が遅くなるのでこの場合は悪い意味でのKYな発言になります。

または、同じような場で、その関係のない質問(KYな質問)と思ったものが、その議題の核心を得ていたので
それまでは正しい方向だと誰もが信じていた考えの方向性を正すきっかけになって役に立った場合は、
良い意味でのKYな発言になります。

このように、その場・会話で何をしたいのか、その目的がはっきりしている場合
KYは悪いものではなく、むしろ良いものだと思うのです。

意味のないおべっかの言い合い、建前での会話、
そんなものを上手く使える人のみが評価される、
本音をいう人は毛嫌いされ嫌われる。

そんな会社や社会はなんだか生きがいがないなと思うのです。

確かに卑屈だったり嫌味な発言はその場の雰囲気を壊すものかもしれないけれど、
みんながみんな似たような発言をしているだけじゃ新しいものは産まれない。

要は、その発言がただただ攻撃的で一方通行的なものでなく、
双方通行で本心で愛のある言葉だったら、KYであろうがなかろうがいいんじゃないかなと。

そこが物事の本質なんじゃないかなと思うのです。


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夢には深層心理が反映される。自分の現在の感情に向き合う。

みなさんは寝ている時に夢を見られますか?

私は見ます。ただ、起きたら夢の内容を忘れてしまうことが多いです。

最近知り合った芸術家の方で夢について興味深いことを語ってくれた方がいます。
その方が言うに、起きている時でも夢を覚えられるように訓練することができる、と。

方法は、
まずは日々、起きてすぐに夢の内容を全て書き出す

慣れてきたら夢の内容のキーワードのみを書き出す

書き出さなくても覚えられるようになるとのことです。

やはり、何事も継続なんですね。

また、夢にはその時の深層心理が反映されているな~と思った体験が去年ありました。

ミュージシャンとして活動を始めていこうとした矢先に出会った方がいて、
楽器演奏がすばらしく音楽制作もしている方でした。

その方に一緒にその地域の音楽文化を拡げていかないか、
私のミュージシャンとしてのキャリアの手助けをしたいと誘われました。
それまでに何度か一緒に仕事をして話もしてきたので、その人の性格は少しずつわかってきた時でした。

その方は、「これは絶対あなたの為になる、有名になれる!」と力説していました。
でも、話を聞くたびに現実的でなく利己的な臭いがプンプンして、
「検討させていただきます。」と返事をしました。

その日の夜に見た夢は、
何か怖くて不気味で蜘蛛のような生物が出てきたり、夜に何度も目を覚まし、本当に嫌な気分で迎えた朝でした。

その朝、感じました。

’やっぱり何かおかしい。頂いた申し出はお断りしよう。’と。

自分の深いところで間違った方向に進んでいるってわかっていても、
表面ではその方向に進んでいる時に軌道修正をしてくれる重要な夢だったな。と今でも実感しています。

夢って興味深い。

 


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料理 音楽 美術~右脳を使う~ 右脳人間より

右脳人間の方~!

私が好きなことはほとんど右脳を使うことです。

料理、音楽、美術、スポーツ、デザイン、即興。。。
自分の5感を使ってモノを作り上げていく作業、大好きです。

右脳人間の人と話をすると、言葉が足りなくてもあうんの呼吸というか、意思疎通が簡単にできます。
逆に左脳人間の人と話をすると、意思疎通を図るのに時間がかかります。

お金を稼ぐ上で、左脳を使うことが重要と思うのですが、難しい。
まだまだ初心者です。修行が必要です。笑

でも、右脳のみでも左脳のみでもバランスが悪いので、
この状況で、左脳を鍛えて右脳を活かした仕事をしていきたいと思っています。

ただ、身体が最高にハッピーって言ってくれる時は
右脳を使って全身でその瞬間を感じている時なので、右脳もレベルアップを図っていこうと思っています。

また現在、右脳人間が多く住んでいる地域を世界の中で目下探し中です。

やはり、周りの環境で幸せが作られていくと思うので、
自分の身体がリラックスできて、自分が自分らしくいれる環境で人生を過ごしていくことが
それぞれの個性にあった生き方だと思うからです。

でも、左脳人間の人には自分が思いもしなかった考えを持っていることが多いので
自分の常識を覆してくれたり、新たな考えを取り入れて成長していくことができるという意味で必要だなとも思います。

また、昨年自然環境の豊かな場所で過ごしていたのですが、
本当にアーティストにとってリラックスできて創作意欲が湧いてくるな~と感じました。

でもそういう環境でお金を稼いでいくことは難しい。

金銭面を気にせず自給自足しながら生きていくならよいのでしょうが、家族を持つとなるとお金も必要ですもんね。

う~ん、バランスって難しいですね。


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数に限りがあるものを手に入れる方法

今日は朝、散歩をして公園で朝ごはんを食べていたときに、
保育園の集団が散歩しているのを見かけました。

池の前で止まって、先生が保育園から持ってきた網で池の中にいる魚や虫を取ることになりました。

ただその網には数に限りがあって、一度にみんなが使えるわけではないようです。

先生が「順番に使うんだよー。」と言っていました。

我こそはと、一目散に網を使って他の子に貸さない子
網を使っているが、頼まれたら譲っている子
網を使っている子の横で「こっちにもいるよ~。」と言って、友達が魚を取ることを手伝っている子
網を使っている子の横で「使い終わったら次貸してね~。」とお願いしている子
みんなの近くを歩きながら「誰か網貸して~。」と大声で言いまわってる子
先生に「網貸してくれない~。」と助けを求めている子
魚取りに興味がなく、全く違うことを一人でやっている子

頼まれていないのに、積極的に網を譲ろうとしている子はいませんでしたね。
そういう`いい子ちゃん`はもう少し歳を取ったら出てくるようになるのかな。

本当に色んな性格が見えて、面白かったです。
この性格は、持って生まれた物なのか、日々の生活で身についていったものなのかわかりませんが、
5歳前後の子供ももう大人のような性格の違いがあるんだな~と思いました。

保育園という親と離れた場所で他の人とどうやって接していくかを、知らない間に学んでいる。

自分だったらどうするかな~と考えてしまいました。

私は実際に体験したいタイプなので、どういうふうにしろ網を使うと思います。
そして、一人ひとりに声をかけるのは大変なので、まず大声で言う。
(でも今日の子供の様子を見てると、熱中しているときに自分に話しかけられている内容には
耳をむけていないようでした。笑)
その後に、個別にお願いしていくかな。

もしくは、興味が無いことはやらないタイプでもあるので、もし魚取りに興味がなかったら
自分で別の興味を見つけて一人で遊んでいると思います。

皆さんだったらどうしますか?


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なぜ人は結婚するのか

みなさんは結婚したことありますか?

結婚してる人>
Happyですか?

結婚したことない人>
結婚したいですか?

離婚した人>
また結婚したいですか?

離婚したい人>
理由は何ですか?

私は、結婚1回しました。今は離婚してシングルです。

離婚して、また結婚というかパートナーがほしいなと思っています。
やっぱり一人で生きていくには辛いし寂しいです。笑

一人で旅して、自由を満喫して、気づいたことがあります。

~幸せは分かちあうためにある~

綺麗な景色・町並み・素敵な人々、こんなことに出会うたびに自分の大好きな人に伝えたいって、
世界が素晴らしいものか、どんなに素敵な人がこの地球上にいるか。

また、旅から家に帰ってきて家族と話すと、旅先で出会った人たちとは一味ちがう安心感があって、
家族っていいなと最近つくづく感じるようになってきました。

これは、一人でいたんじゃ得られないものです。
二人、三人、多ければ多いほど楽しいものです。

でも、結婚していて幸せを感じれない、もしくは自分らしくいられない場合、
私は結婚を続ける必要はないんじゃないかなと思う。

ストレスも溜まるし、愚痴は周りの人を幸せにはしない。

少なくとも私は愚痴を言うのも聞くのも好きではないです。
面白おかしい愚痴なら愚痴にならないからいいですけどね。

って個人的な意見ですが。

中にはそんな自由な考えをするなんて不謹慎なって思う人もいるんだろうな。
人それぞれですよね。

でも一度の人生だから、みんながhappyに有意義な時間を過ごせるような世の中が素敵だなと思ってます。



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本能に従うこと~恐怖を取除いて大きな決断を下したい人へ~

本能に従うこと。。。

最近、頭でっかちになって本能に従うのが勇気のいる作業になってしまった。

小さいころは自分の本能に正直に行動していたのにな。
年を取るにつれて、世間の常識、周りの人の声、失敗への恐れ、怠惰、完璧主義な性格、
こんなものに振り回されて頭の中がごちゃごちゃになって、
単純に今という時間を楽しむこと、頂いた生命を感謝して生きることが出来なくなってきちゃった。

これまでの人生の選択に対して疑問に思ったり、周りと比べて自分に無いものを無理に欲しがったり、
たった一人の自分を大切にできていない。

保守的なのって自分らしくないのに先の見えない将来が不安でしょうがなくて、
らしくもなく安定的な仕事の求人見ては、

’やりたい仕事が無い’
’情熱を感じる職種が無い’

そんな自分はどうしようもない存在だと、周りの一所懸命働いている人を見ては自信をなくしていく毎日。

朝を迎えるのが辛い。いい歳して何してるんだろうって。

高い崖から川に飛び降りるくらい怖い、本能に従うこと。

自分の本能が求める職種が現在の社会で簡単に就職できる職種だったらよかったのにな。

そうしたら失敗することなく安全な道を進むことができるのに。

安定した仕事、給料を捨てて本能で選んだはずの道をまたもや諦めようとしている。

本能に従って動いていた去年は、今、客観的に考えると無謀な挑戦をしていた。
でも、本人的には無謀と思っていなかった。

多くのことが上手くいって最高にラッキーな年だった。
流れに逆らわず、本能の赴くままに行動していたもんな。

だから、諦めないでもう少し頑張ってみよう、自分。

何年後かに挑戦してよかったって、自分に納得できるように。

本能に従え~!



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